私はこれまでさまざまなプロダクトやOSS開発に関わってきましたが、私が強く感じていることがあります。
圧倒的に、作る人が足りていません。圧倒的に、です。
プロダクトを使う人、記事を読む人、情報を集める人はたくさんいます。一方で、自分で何かを作り、形にして、外に出す人は、まだまだずっと少ない。作れるかどうか、情報を出すかどうか、以前に、「自分がやろう」と思う人が圧倒的に少ないのです。
定期的、長期的に発信し続ける人はごく一部であり、そして何より、一度作ったものをメンテナンスし続ける人は、本当に一握りです。
例えばGitHubの統計では、人気のあるプロジェクト917件で、同じプロジェクトへの貢献期間が1年を超えた人は12.3%、2年を超えた人は8.0%、3年を超えた人は5.9%でした。別の275件では、貢献者の48.98%が一度しかコミットしていません。2016年に作られた1,127件のプロジェクトでも、4年後も46.2%しか、5年後も38.3%しか継続していません。作り始める人は一部なのに、作り続け、さらに維持し続ける人はもっと少なくなります。
だから私は、作りたいと思っている人を応援したい。プロダクトでも、記事でも、どんどん作って、どんどん出してください。
AIによって無意味なコンテンツが増えるという懸念は、その手を止める理由にはなりません。
作りたいと思えること自体に価値がある
新しいものを公開しようとすると、「似たものはもうある」「もっと詳しい人が書いている」「いまさら自分が出す意味はあるのか」と考えてしまうことがあります。
でも、似たものがあることと、自分が必要としているものがあることは、同じではありません。
機能はあるけど、目的がちょっとズレている、とか、どれだけ詳しい説明や解説があっても、自分が知りたい話がない、自分が理解できる形になっていない。そうしたズレからも、作る理由は生まれます。ありものでは、自分にフィットしない、その時にカスタムではなく、オーダーメイドが欲しくなるでしょう。
ちょっとした道具なら、今ではAIエージェントで代替できます。でもそれは自分の作業工程のうち、何割で使いますか?頻度は?それにかかる時間は?ちょっとしたものなら毎回指示すればいいし、手順をスクリプトにしてもらうのでもいいでしょう。でも「ちょっとずつ違う手段」を、毎日、何工程にも調整していく、というのは許容できるか?すべてオーダーメイドの手段にしたくないか?またそれを情報として出すだけでも、誰かの、何かの役に立つのではないか?
壮大な事業計画がなくても、世界初のアイデアでなくても、始められます。自分の生活や仕事の中に、すでに使う場面があるからです。
作る人がどれだけ増えても、そうした個別の困りごとを拾いきるのは簡単ではありません。私が「作る人は足りない」と感じるのは、そういうことです。
自分に刺さっているなら受け手はいる
「AIで、誰にも刺さらないコンテンツが大量に作られるようになる」という話があります。
単にビューを稼ぐためだけの、誰の役にも立たず、誰にも刺さらないものを、ただ大量に生成する。そこになんの価値もないという意見には、私もそう思います。
ただ、AIのアウトプットをコントロールするのは人間です。何を作るかを決め、出てきたものを確かめ、自分の目的に合うように直し、使うところまで持っていく。その判断が入ります。
そして、自分のために作ったものが、実際に自分の役に立っているなら、少なくとも一人には刺さっています。その一人は、自分です。
「誰にも必要とされていないかもしれない」と心配する前に、ここを見落とさないでほしいのです。面倒だった作業が楽になった。わからなかったことが理解できた。欲しかったものを、自分で使えるようになった。そこには、具体的な使い道と受け手がいます。
私は、ユースケースがすべてだと思っています。何のために作り、どこで使い、何がよくなるのか。それが自分にはっきりしているなら、手を動かす理由として十分なんです。
AIを使ったかどうかだけで、その価値がなくなるわけではありません。自分の用途に合っているかを確かめ、記事なら内容を確認し、道具なら動作を試す。作り手としての判断と責任を持ちながら、AIの力を使えばいいのです。
同じユースケースを持つ時空を超えた誰かへ
自分の困りごとが、この世界で自分一人だけのものだとは限りません。同じ仕事をしている人、似た手順で作業している人、同じところでつまずいた人がいるかもしれない。なんなら、未来の自分は確実に同じところでつまずくはずです。同じ時代ではなくても、何分後、何時間後、何年後の誰かに刺さる可能性は大いにあります。
インターネットで公開した情報は、時空を超えます。読み手が、いつ、どこでそれを読むかはわかりません。だから私は、具体的な技術記事を書く場合、いつの情報か、どんな環境で、どんな状況か、「前提条件」を整理して、提示しています。そして、何に困っていて、どう使うために手を動かしたのか、もしくはAIになにを指示したのか。実際にどうなった、何ができなかったのか。
そして、意外かもしれませんが「できなかったこと」を共有する、というのも極めて大切です。
システムやプログラムにおいて特定のバージョンの相性問題は必ずどこかにあります。自分の環境でパッケージのバージョンの組み合わせで問題が発生したときに「再現性があるのかないのか」を確認できるかどうか、は実は極めて貴重な情報なんです。
単にこうやったらできた、こうやったら解決できたというのも十分に価値がありますが、「こうやってもうまくいかなかった」、「どうやっても解決できなかった」という情報は、実は、極めて有効な情報です。インターネットの世界では「古いプログラムを別の環境に移植する」なんてネタもあります。まさに時空を超えて、「できること」と「できないこと」が必要なんです。
このように、自分の成功例だけでなく、アンチパターンを公開する、というのも、まさに時空を超えた誰かのためになるんです。
作ることと届けることをどちらかだけでも続ける
ここで難しいのが、届け方の工夫です。アウトプットが「発見されない」のか、何に役立つのか「伝わっていない」のか。発見されても、手を動かすところで「止まってしまう」のか。反応がないという結果だけでは、どこが詰まっているのかはわかりません。
届かなかったときに、すぐ「作ったこと自体が無意味だった」と結論づける必要はありません。使い道を伝える言葉や、見せる場所を変えられるかもしれない。使った人の反応から、作ったもの自体をよくできるかもしれない。作ることにも、届けることにも、工夫する余地があります。
タイトルを変えてみる、表現方法を変える、イラストを追加してみる、最初のハードルを下げてみる。違う読者のいる場所に変える、など作ったものに合わせて、届け方もアレンジしていくだけでも違うものが出来上がります。
新しいものができなかったからと言って、発信を止める必要はないんです。むしろ今まで作ってきたものを少しだけアレンジして、アライメントを整えて、アプローチを変えて、発信し続けるだけでもいいんです。
どんどん作りたいものを、作って外に出す
AIで何かを作る人が増えることを、私は歓迎します。作りたいと思った人が、実際に作れるようになる。それは、もっと起きてほしいことです。
価値のない出力が増える心配だけを見て、作ることまで遠慮する必要はありません。自分のために作り、自分で使い、自分で確かめる。そのうえで、誰かにも使える形にして出してみる。
作りたいものがあるなら、すぐにAIに話しかけてそれを形にしてみてください。毎日の作業を変えるプロダクトでも、自分が欲しかった説明をまとめた記事でも構いません。「いつ、どこで、何のために、どう使うものか」を添えて、外に出してみてください。
作る人は、まだまだ足りません。どんどん作って、どんどん出していきましょう。



